ニューソウルの夜明け Curtis Mayfield
それは、60年代までのブラック・ミュージックの枠組から外に出ることにも等しかった。
酒場やダンスホールで人々を瞬時楽しませるという「ブラック・ミュージックの芸能」という枠のなかでは、カーティスの歌はいかにも弱い。
さらにそれは、一曲完結、レコードであればシングル盤で勝負するという旧来の常識を打ち破ることでもあった。
カーティスのソロ作は、アルバム一枚を通して聴くべきものだし、芸能としてのブラック・ミュージックというよりシンガー・ソング・ライターに近い。
こうしたチャレンジを成功に結びつけるにはカーティスほどの才能がなければならなかった。このソロ第一作で大地に腰をおろしたカーティスが見ているものこそ、ニューソウルの夜明けだった---と、感傷的なイメージに浸ってしまう。
そして、その代償として彼が、あるいは旧来のブラック・ミュージックが失ったものも大きかった。
単に楽曲の充実度からすればカーティス在籍時のインプレッションズを僕は上に置く。あるいは数え切れないほど彼が量産したシカゴ・ソウルのなんと滋味深いこと。
これらを手放したかわりに、このアルバムのハイライトだと僕が思う、長尺(9分近い)の"Move On Up"から"Miss Black America"へと続く恍惚を与えることができた。
まさにそれは等価交換の原則なのだろう。
聴いているのはカートムの原盤LPではなく、米ライノがリマスターしたCD。音質の向上、そしてデモ録音のボーナス・トラック。こういうボーナスはスカートの下のように覗いてはいけない世界なのだが、しかし、あればめくって見たくなる助平心。
Curtis Curtis Mayfield (Rhino R2 79932)
たとえば冒頭の"If There's A Hell Below We're All Going To Go"は重厚なシンセベースではじまるが、もともとのテイクはブラス・セクションを使ったものだったのがわかる。明らかなに最終ミックスのほうが素晴らしい(だから、覗いてはいけないスカートの下なんだ)。
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