【USBDG 005】 Ben E. King
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ベン・Eは1938年生まれ、シンガーとしての初録音はThe Crowns(The Five Crownsの後身)に途中参加した1958年。
ここでシングルを1枚残したのち、50年代末期のR&B史では知られた、ドリフターズすげ代え事件がおきる。クライド・マクファター率いるThe DriftersはAtlanticで着実に活動していたが、突如解雇され、クラウンズがそのままドリフターズを名乗らされる。
新生ドリフターズは、ベン・Eのリードのもと、立て続けにヒットを飛ばす。ソウル・ファンとしては"Money Honey"他の旧ドリフターズのスリリングなコーラスに心惹かれるが、ベン・Eの包容力のある歌はもっと広範な音楽ファンを獲得する。
彼らのオリジナル「ラストダンスは私と」(Save The Last Dance For Me)は、彼らがヒットさせた。今では当たり前だが、この当時、黒人のスマッシュヒットを白人がカバー(というよりパクり)して大ヒットさせるというのが通例だった。ベン・E率いるドリフターズはナット・キング・コールやプラターズ並の存在になったということ。
しかしこの新生ドリフターズ時代は僅か1年。
勢いをかってベン・Eはソロ・シンガーとなる。1959年にソロの初吹き込みをしているから、クラウンズ~ドリフターズ~ソロがあっという間だったわけだ。
そして60年10月27日、3回目のスタジオ入りでベン・Eは次の4曲を吹き込む。
Spanish Harlem
First Taste Of Love
Young Boy Blues
Stand By Me
これらの曲を作曲し、レコーディングを行ったのはジョニー・レイバーとフィル・スペクター。まさに音楽の歴史がこの日に刻まれた。
まず"Spanish Harlem"がヒットし、そして"Stand By Me"はチャートNo.1を4週に渡ってキープ、21世紀も聴きつがれる名曲となった。
有名なアポロ・シアターのライブLPでは若きオーティス・レディングやファルコンズを露払いにベン・Eがトリをとる。クラウンズのメンバーとして初録音を体験してから僅か3年でベン・Eはそのキャリアの頂点に立ってしまった。
そして彼は再び、それに比するほどの成功を獲得することはなかった。
それは不運だと思う。ベン・Eは優れた録音を残し続けた。70年代には最高と形容していいソウル・ミュージックを歌った。しかしあまりに「スタンド・バイ・ミー」のイメージが強すぎた。
しかしもちろんそんな不運は小さなもので、彼の得た幸運の前にはかき消えてしまう。クライド・マクファターは「スタンド・バイ・ミー」を残せなかったのだから。
現在もベン・Eは健在で、ベン・E・キング スタンド・バイ・ミー財団で慈善事業を行っている。
Stand By Me Ben E. King (Warner Pioneer P-6181A)
これは1980年の暮れに出た日本編集のベン・Eの初期のベスト。僕は翌年1月に買っている。なにを隠そう、僕が生まれてはじめて買ったソウル/R&Bのレコードだった。
山下達郎のアカペラ・アルバム"On The Street Corner"に、"Spanish Harlem"のカバーが入っており、そのオリジナルが入っているというので購入した。
あのとき、そんなことを考えなかったら、こんなブログを書いていることもなかったのに---。
60年のニュー・ヨークの最先端のR&Bが瑞々しく伝わってくる内容。
ベン・Eは素晴らしいシンガーであり、まごうことなきソウル・スターだ。それを証明する曲をお聴きいただく。"How Can I Forget"
まさにN.Y.ディープ。
これだけの世界を作れるシンガーだから、「スタンド・バイ・ミー」に永遠の命を吹き込むことができた、ということだ。
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